
大雲寺の秘仏が製作された天平時代は 、華やかな時代であると同時に 政変・ひでり・凶作
大地震・天然痘の大流行などが相次ぎ 、苦難な時代であった。そのため聖武天皇は仏教に
深く帰依し、 人々が思いやりの心でつながり、子どもたちの命が次の世代に輝くことを真剣に考え
られたのである。
743年盧舎那大仏造立の詔を発し、この世の動植物すべてが反映することを願い国民一人
ひとりが少しでも自主的に造営に携わることを呼びかけられた。この聖武天皇の姿勢は これまで
の 国家事業の進め方とは大きく 趣を異にするものがあり、この詔の出された4日後には行基が
弟子たちを伴い勧進を始める。
聖武天皇の考えは 、華厳の教えに基づくものであり 、世界に存在するあらゆるものは 、何一
つとして 孤立して存在し得ず 、密接な相互依存関係の上に成り立っている 。しかし人類は 自
らの 我執によって、この世界の本当の姿に気づかず我欲のままに 相争うことを繰り返している。
華厳経はこの苦悩の世界を救おうとひとりひとりが自他の縁起に触れ 、他者に対する 偏りなき
慈愛を持ち、菩薩の心を持って世界を作ろうと教えている。
観世音菩薩はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る菩薩であるとされているが、
聖武天皇のお心と生き方そのものが観世音菩薩の慈悲心と同じである。
行基は霊木を用いて聖武天皇の身丈、容姿を写し敬虔な祈りを込め、一刀三礼にて十一
面観音を造像された。
「四聖の御影」中央 聖武天皇 右手前 行基